前回(第120号)の続きです。
アドラーが唱える子どもが問題行動を起こす目的。
第1段階は「ほめて欲しい」という『称賛の欲求』。
それが無理なら「目立ちたい」という第2段階の『注目喚起』に移行する。
そのどちらもが、真の目的は特権的な立場を獲得することでした。
しかし、それでも目的を果たせない場合は、どうなっていくのか?
●第3段階 「権力争い」
「おまえの言うことなんかに従うか!」
暴言、万引き、喫煙・・・ 徹底的に反抗し、挑発し、無視をする。
実力行使で自分の力を誇示することで、特権的な地位を確立しようとするのが、この段階です。
こうなるとかなり手強いのですが、親や教師にもまだ対処が可能だそうです。
なぜかというと、どんなに反抗しようと悪いことをしようと、“愛がほしい”という目的だから。
しかし人は、この権力争いに破れたとき、大きく違う方向に向かい始めます。
●第4段階 「復讐」
どうやっても愛を得ることができない。
それを悟ったとき、人は「憎しみ」という感情を求め始める。
「愛してくれないなら、いっそ憎んでくれ」
「憎しみで特別な存在になってやる!!」
もう、こうなるとヤバイ。
この段階では正面から戦いを挑むのではなく、ひたすら相手の嫌がることをしてきます。
ストーカー、自傷行為、引きこもり、ときにはとんでもなく不潔になったり、
グロテスクな趣味に走ったり。
「こんな風になったのは、お前のせいだ!」と行動で訴えてくるのです。
親や教師は復讐のターゲットですから、ここでは、もうできることはありません。
親や教師が困れば困るほど、復讐が成功していることになるのです。
第三者の専門家に頼るしかありません。
そしてさらにこの先には・・・
●第5段階 「無能の証明」
ありとあらゆる手を使っても、自分は特別な存在にはなれなかった。
賞賛も憎しみも得られず、自分の居場所が見つからない。
そうなったとき、人はこれ以上傷つかないために、最後の目的に至ります。
それは「見捨てて欲しい」ということ。
「もうこれ以上構うな。期待もするな」
どんなに援助しようとしても、あからさまに無気力な態度を取って、自分がいかに無能であるかを証明してくる。
そうこうしているうちに自分自身も、その自分の姿を信じるようになっていく。
こうなってしまうと、もはや専門家でも対処が困難だといいます。
愛してほしい、それが無理なら憎んでほしい、それすら叶わないなら見捨ててほしい。
人というのは、どこまでも人とのつながりを求める存在なんですね。
このような知識があると、行動だけに囚われずに子どもを観られるようになる気がしませんか?
もしも問題行動を起こしても、「本当は何を願っているのか?」を理解して
対処できるといいですよね。
(文:大原)
※参考文献:幸せになる勇気 /岸見 一郎、古賀 史健 (ダイヤモンド社)