先日、ある方にカラフル・ドアーズの説明をしていて、「実際にはどんなことをやるんですか?」と聞かれました。
体験学習型のプログラムは、実際にやってみないとイメージがつきにくいので、定番の質問です。
私は、こんなふうに答えました。
・言葉を使わずにコミュニケーションを取り合って、出されたお題をみんなで表現するゲームとか
・お金とか幸せとか自分とか、正解のない問いについて話し合ったりとか
・準備なしの即興で、自分の意見を所定の時間話し切ってもらうとか…
他にもいろいろな無茶ぶりに応えてもらいます。笑
経験上、これを聞いた多くの方は次のように思うようです。
・何が起こるか想像がつかないなぁ…
・子どもの主体性に任せるっていうけど、収拾がつかなくなったら困るなぁ…
・活発な子だけが話して、おとなしい子は黙ったままになるんじゃないか?
・話し合いで誰も意見を言わなかったらどうすればいいのか?
そして次に、かなりの高確率でこの質問をされます。
「それって、子どもにできるんですか?」
私はこう答えました。
「できるかもしれませんし、できないかもしれません」
「なにそれ?」ですよね。笑
「いやぁ~、ご心配はごもっともですが、マニュアル通りにやってもらえれば大丈夫です!」と答えるのが営業トークとしては正解かもしれません。
でも実際、やってみなければ分からないんですから仕方ないのです。
さて実は、この答えこそが、”生徒が主体的になれるかどうか”の奥義なのです。
“教師にとっての成功(≒エゴ)を手放して見守ること”が、子どもの主体性を引き出す最重要ポイントです。
これ、言うほどカンタンじゃありません。奥義ですから。
先ほどの不安の声はすべて、「教師が責任を持ってよい活動をさせななてはいけない」という思いから出ています。
・話し合いでは、全員に平等に話させなくてはいけない
・意見交換は活発でないといけない
・自分の想定通りに行ったら成功、行かなかったら失敗
・・・というスタンスです。
私に言わせると、「マジメかっ?!」です。笑
教師が学習成果に対して責任を持つのは当たり前と思われるかもしれませんが、
活動型の学習スタイルでは、その責任を生徒に手渡してあげる必要があります。
何しろ主体性というのは、「自分の意志・判断によって、みずから責任をもって行動する態度や性質」(三省堂 大辞林 第3版)なのですから、他の人が責任を持ち続けていたら発揮しようがないのです。
私たち大人は、子どもから責任泥棒をしないように気をつけなくてはいけません。
教師が学習成果に対する責任を握り締めたまま生徒に活動をさせると、生徒は敏感にそれを察知します。
そして、自分の正直な考えを言わずに、そこで求められている意見を発言しようとします。
それは主体的とはいえません。
準備の段階で理想的なゴールを思い描くのは大いに結構(むしろそれは念入りにやるべきこと)なのですが、いざ始まったらそれに縛られずに、ぜひ生徒たちと一緒に楽しんでみてください。
どんなことが起こるか分からないからこそ、期待を持って好奇心一杯に見守ることが、私たちに求められるリーダーシップなのではないでしょうか。
それは、無責任な放任とは違います。
どこが違うかは、弊所の公認WSリーダー研修をご受講いただければ、分かるかもしれないし、分からないかもしれません。笑
p.s.
ファシリテーションはとても奥深いもので、いろいろなことに考え方が転用できます。ビジネスパーソンなら「部下との関わり方」という視点、子育て中の方なら「子どもとの関わり方」という視点で読んでみると、また別の気づきがあるかも?
(文:大原)