前回は、3年前に書いた「『生きる力』って、なんだろう?」という記事をお送りしました。その中で私は「生きる力とは、人生で起こる様々なことの意味を見出す力なのではないか?」と書きました。
さて今日は、前回の予告通り、私が今思っている「生きる力とは何か?」について書きますので、ぜひ一緒に考えてみてください。
「生きる力」というのは、身体・心・思考・人間関係など、とても多様な視点でみることができますよね。今日のお話は、その沢山の中の一要素であって「これが正解だ!」と言ってるわけではありませんので、予めご承知おきください。
まず結論から。
今私が思っているのは、「生きる力」とは、転ばない力ではなく、転んでも立ち上がる力のこと。
ありふれた意見でごめんなさい。笑
これは自己回復力とかレジリエンスとか、いろいろな言葉で呼ばれていますよね。
おそらくこの意見を真正面から否定する人は少ないんじゃないかな~と思いますが、ひとつ不思議に思うことがあります。
それは、私たち大人は、どうして子どもたちに“転ばないように転ばないように”という環境を与えようとしてしまうのか?ということです。
先回りをして失敗を防いだり、細かいルールを定めて問題が起こらないようにしたり。
まあ、時代が時代ですから、問題を起こされてはめんどうだ、というのが正直なところなんでしょうけど。
そこで、今どきの校則はどんな感じか、興味半分で検索してみたら、ぞろぞろと出てきました。
・男子の髪型はツーブロック禁止
・女子はヘアピン使用禁止。ショートカットの場合は前髪を作らないといけない
・一・二年生は階段で2階以上に行ってはいけない
・目的がないのに廊下を歩いてはいけない
・掃除は無言でやらなければならない
・下校時は図書館と文房具店以外は立ち寄ってはいけない
・豪華なお弁当を持ってきてはいけない
・恋人ができたら先生に報告しなければいけない
・ヘルメットが壊れても卒業まで変えてはいけない
大人の都合の押しつけといいますか、もはや意味不明といいますか・・・笑
かの哲学者ルソーは、子どもに課すルールは一つだけでいいと言ったそうです。
「人に危害を加えるな」
よくないですか? この唯一のルール。
私事ですが「子どもたちが自由に、思いっきりすっ転べる場がつくれたらいいな~」と思って小学生向けの「心のチカラ」ワークショップを作っていたことを思い出します。無論、わざと転ばせるようなことはやっちゃダメですが、その子にとって必要なときに必要な形で転んでおくこと、そしてそこから立ち上がる体験を積むことはとても大事だと思います。
“必要なとき”というのは、その子が失敗したとき。ちょうどそのときなんですよね。
だから失敗は、悪いことでも何でもない。
書いているうちにちょっと熱くなっちゃいました。
私たち大人にもいろいろ都合はありますが、子どもたちから成長する機会を奪わないように気をつけたいものですね。
p.s.
『心のチカラ・学びのチカラ』ワークショップは、命や大けがの心配なく、転んだり起き上がったりの体験ができる場です。さらにリフレクションで学び方も学べちゃいます。
体験から学ぶ術を身につけておけば、受験でも社会でも必ず役に立ちます。
これは、やらない手はないですよね!
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今日は、力強い営業トークで締めくくることと致します。笑 (文:大原)