先日、探し物をしていたら、昔の教え子からもらったお手紙がわらわらと出て来て、懐かしくなって読んじゃいました。すると、あることに気づいたんですね。
どの年の卒業生も、「ありがとう」を言ってくれている内容に共通点があるということに。
先生の教え方がうまい!とか、
先生が優しく教えてくれたおかげで苦手な数学の点数が伸びました~とか、
先生から教わったことがすごく役に立ったとか。
・・・そういうことがあんまり書かれていない。
いや、まったくないわけじゃないですよ。本人の名誉のために一応言っておきますが。
授業の準備にはけっこう時間をかけてたので、そっちの方の話があんまり出てこないってどうなのよと思いつつ...
その代わりにありがとうと書かれていたのは、
勉強以外の事もたくさん話を聞いてもらったとか、
あのひとことで気持ちが楽になったとか、
先生に書いてもらったカードをずっと持ってるとか。
まあそういうことが多いんですね。
振り返ると、なんてこともない話はよく聞かされていて、
「いい加減遅いからもう帰んなさい!」とか
「こっちはクソ忙しいんだよ~」とか
言ってた気がします。笑
あのころにコーチングを学んでいたら、もっとちゃんと話を聴いてあげられたかもしれません。
そしてもうひとつ、ここだけの話ですが...
生徒が感謝してくれている「私を支えたあのひとこと」というのが、かなりの確率で思い出せないという驚愕の事実。
「そんなこと言ったっけ?」、もしくは「言ったような気もする」ぐらいの感じだったりとか。
いやいや、これは私だけじゃないはず。
これをお読みの先生方にも、きっと心当たりがあるはずです。そうに決まってます。
人というのは、自分でも気づかないところで人に影響を与えている。
そういうことに、改めて気づかされました。
ということは、気づかないうちに人を傷つけている可能性だってあるわけです。
結構やってるかも。。こわいですね。
ともかく、先生というのは教えることが仕事のように思われがちですが、生徒の中に残り続けるのはどうやらそれとは違うもののようです。
生徒に何をしてあげたかよりも、生徒にとってどんな人だったか。
人生の長さを考えたら、その方がはるかに大きな影響力を持つなぁと思いました。
これは、親子や上司と部下の関係でも同じじゃないでしょうか。
子供たちはあなたが教えようとしたことを忘れてしまう。
しかしあなたという人間を覚えているものだ。
by ジム・ヘンソン(操り人形師)
学校で学んだことを一切忘れてしまった時に、なお残っているもの、それこそ教育だ。
byアルバート・アインシュタイン(理論物理学者)
この名言を実感した、とある日の探し物でした。
単に知識を増やしたり、技術を身につけさせるだけじゃなく、先生の“何か”が生徒の中に残る。これこそが、教育という仕事の醍醐味なのだと思います。
私はもう先生と呼ばれる仕事は退きましたが、手紙を読みながら、
「何が残せたのかな」
なんてことを考えてしまいました。しみじみ~。
あなたは生徒に何が残せたら幸せですか?
(文:大原)