今日は、コーチングの学びの旅を共にしたゆかさんのお話をご紹介したいと思います。あれから早10年以上。今彼女は共に学んだCTIで、講師の立場でコーチングを伝えるお仕事をされています。
振り返ってみると、私がコーチングを学び続けられたのは、彼女のような願いを持つ人たちとの出会いがあったからだと思います。
Facebookに流れて来た彼女の投稿を見て、ぜひみなさんに共有したいと思い、ご本人の許可をいただきました。原文のままお読みください。
実際に起きたのは7年前のことなのですが、私はいつもこの時期に思い出すことがあります。長い文章なのですが、子育てを一生懸命されている方、子育てに限らず人生で『独り』を感じる方に、想いを寄せる時に思い返すエピソードです。
・ ・ ・ ・ ・
本当に大切にしたいこと。
満員電車の中で、ベビーカーに1歳位のお子さんを乗せたママが乗ってきた。
遅延で膨れ上がった車内で、上手く端っこに乗れなかったお母さんは、掴む所のない真ん中の辺りで不安定に立って赤ちゃんをあやしてる。
何気ない光景。いつか通ってきた光景。
そんな気持ちでそばで見ていた。
次第に車内は暑くなり、赤ちゃんは飽きたのか、喉が乾くのか、ぐずり始めた。
お母さんは「もうすぐだからね」とふらふら抱っこをしてる。
不意に電車が揺れて、赤ちゃんは頭を手すりにぶつけ、火がついたように泣き始めた。お母さんが慌てて「ごめんねごめんね」と言いながら片手で子供を抱き、もう一方の手でベビーカーを抑えてる。
私は、どうにもたまらなくなり、ドア近くの場所が空いたのをみて「こっちにベビーカー移そうか。危ないから。」と声をかけた。その瞬間、お母さんと目が合い、その目が涙で真っ赤なことに気づいた。
お母さんと赤ちゃんはドア側の端っこで、次の駅に電車が到着するのを待ってる。
泣きながら何かを訴える赤ちゃん。それを見て、何かあやすものがないか、必死なお母さん。私はその二人の姿を隣で見ていて、どうしても涙が止まらなくなった。
この大変さを私は身に沁みて知ってる。
一人で子育てする淋しさを。
沢山の人が周りにいるのに助けてもらえない虚しさを。
悪いことなんて何にもしてないのに、子供を責めてしまい、そんな自分を責めてしまうジレンマを。
そして、そんな時間はわずか数年前のことなのに、その気持ちを知ってるはずの私はすぐに二人を気遣ってあげられず、どこかで傍観していた。
あの頃の「周りの冷たい他人」になってる。。
・ ・ ・ ・ ・
次の駅に着くと、ベビーカーを一緒に降ろして、お母さんに声をかけた。
ごめんね、私、気持ちがよくわかっていたのに。
すぐに声かけてあげられなくって。
よくがんばったよね。
涙がポロポロ。赤ちゃんとママと、そして私。
三人で散々泣いて、バイバイと見送った。
・ ・ ・ ・ ・
何気ない通勤の中で、私は自分が本当に何を大切にしたいのか、を突きつけられた。
私は、心を大切にしたいんだ。
目の前で困ってる、苦しんでる、助けてと言ってる。
それに気づいたらすぐに手を繋げる自分でいたいんだ。
それを教えてもらって育ったのに。
いつの間にか「自立」という言葉を隠れ蓑に、本当の思いやりを伏せてしまってた。
『大変なの、わかってますよ。』で放っておくんじゃなくて、『今、大変だよね。何ができるかな。』と言える人でいたい。
そうやって、人の手を取って、そして自分の手も取ってもらって、繋がって生きていきたい。
ふとしたことの中で、人生の一番大切なことに気づかされる。
何かとても大きなサイン。 (文:長谷川 由香)
※ゆかさん、共有をご許可いただき、ありがとうございました!(涙)