最近はよく『自己肯定感』という言葉を耳にしますよね。
例えば、「子どもの自己肯定感を高めよう!」とか。
ちょっと引っかかるんですよね、この言葉。
ということで今日は、『自己肯定感』に関するお話です。
ズバリお聞きします!
あなたは、自己肯定感が高いですか?
私はこう聞かれたら、
「何で自分を肯定する必要があるのよ。別に肯定しなくてもよくないですか?むしろ、私ってスゴイ!みたいなのは、ナルシストっぽくてあんまり好きになれないんですけどっ!!」と答えます。
いい歳してヘソ曲がりな答えですね。苦笑
私の答えが本来の自己肯定感の意味からは的外れであることは分かります。
分かるんですけど、「自己を肯定しているか?」と聞かれたら、否定もしないけど積極的に肯定する感じでもない・・・というのが正直なところです。
そういう方って多いんじゃないかなと思います。
また、積極的に自分を肯定できなきゃダメだ、というのもしんどいですし。
そもそも「自己肯定感」って何だ?
この言葉に問題があるんじゃないかと思って、ちょっと調べてみました。
英語ではself-esteem(セルフ・エスティーム)ですから、直訳すると「自己を尊重する」です。
いいじゃん、、「肯定」じゃなくて「尊重」なのね。
では、日本ではどうなのか?
臨床心理学者の高垣 忠一郎氏(1944~2024)が“他人と共にありながら自分は自分であって大丈夫だという、他者に対する信頼と自分に対する信頼”と定義したのが始まりだそうです。
いいじゃん、、「自分は自分であって大丈夫」って。
やっぱり、『自己肯定感』という語感が、私の中でしっくり来ないんだと思いました。
こんな考察を聴いたことがあります。
「自己肯定という言葉を裏読みすると、日本の社会では成長過程で必ず周りから否定される、だから自分自身で肯定し直さなくてはいけない。『自己肯定感』と呼ぶ理由はそこにあるのではないか?」
私にはとてもしっくり来ます。(正しくはないのかもしれませんが・・・)
まあ、いずれにしても、私見を言わせてもらうと『自己肯定感』(自分を積極的に肯定できる感覚)を高める必要なんてないと思います。
私なりの言葉に置き換えてみると、
『自己受容感』(積極的に肯定するわけでもないけど、自分は自分でいいよねくらいは思える)は育んで行きたいですし、『自己尊重感』(自分の感情を押し殺すことなく尊重してあげる思い)も育んで行きたい。
そんな風に思います。
肯定や否定という両極を見るのではなく、受容や尊重を育むことを大切にするのはいかがでしょうか?というお話でした。
p.s.
今日のお話は、私の大好きなイチロー氏がYoutubeで「自己肯定感って言葉、気持ち悪い」と言ってたので、背中を押されて書いてみました。
※「イチロー/自己肯定感」で検索すると出てくると思いますので、よろしければどうぞ。
(文:大原)