「心のチカラ・学びのチカラ」のプログラムは、子どもたちの主体的な学びを実現したいという想いで制作しました。
“主体的に学ぶ”とはどういうことかというと、他者(先生や親など)からの指示がなくても自ら学びに向かうこと、またはそれが習慣として身についている状態です。
さて、“子どもたちが主体的に学ぶ”ために私たち大人に何ができるでしょうか?
(“子どもたちに主体的に学ばせる”ではありませんのでご注意ください)
さて今日は、私がファシリテーションを行うときに“主体的な学び”が起きるために意図していることを2つご紹介しようと思います。
ファシリテーターや教育関係者だけでなく、子育て中の方にも参考になったらうれしいです。
なぜかというと、ファシリテーションと子育てには、大きな共通点があるからです。
それは、どちらも最終的な結果をコントロールできないということです。
思い通りにコントロールしようとするほど苦しくなり、結果への執着が望ましくない行動に駆り立てるという点がとても似ているなぁと思います。
ファシリテーションも親も、「思い通りに行かないことをいかに楽しめるか」が試されますよね。
では結論から。
私の2つの意図とは、「ゴールの共有」と「サインの種」です。
「ゴールの共有」は分かりやすいですよね。
大勢が集う場であろうと1対1の関係であろうと、
「私たちはこれからどこに向かうのか?」
「最後にどうなっていたらいいのか?」
「このプロセスから何を得ようとするのか?」
始めるタイミングでそういったことをできるだけハッキリ共有しておくことが、自ら学ぼうとする姿勢を力強く後押ししてくれます。
これは私自身、授業や社員研修や我が子と向き合う経験の中で痛感しています。
でも日常的には様々な場面で「ゴールの共有」がなおざりにされていると感じます。
子どもに主体的に学んでほしいと願うなら、ゴールを明確に共有することこそが、私たち大人の腕の見せ所だと言えます。
そして2つめの「サインの種」。
こちらは「ナンデスカ、ソレ?」…ですよね。笑
ここでサインと呼んでいるのは、たとえその場では分からなかったとしても、後になってから「あぁ、あのときのあれはこういうことだったのか~!」という気づきが生まれるような“何か”のことです。
“何か”というのは、出来事だったり言葉だったり私的な体験だったり。
私が場づくりをするときは、一人ひとりの心にサインの種が残ることを願って・・・というよりは、どんなときもサインの種は残るものだと信じてやっています。
「ゴールの共有」はこちらの意図次第ですが、「サインの種」はこちらの意図を超えてやって来るので何が残るかは想像もつきませんけど。(そこが神秘的で楽しい!!!)
サインの種が生まれると信じていると、多少の混乱が起こったり、話し合いで沈黙になったりしても、あまり動じなくなるというメリットもあります。
「今起こっていることも何かのサインかな…」などと思いながら、多少は悠然と見守れたりして。
それが自分自身に向かってくるサインだった、なんてこともしばしばですけど。苦笑
親として、我が子にたくさんのサインが残せるような存在になれたらいいなと願いつつ、いざ振り返ってみると、私の方がたくさんサインをもらっているなぁと思います。
(文:大原)