どうして子どもたちには『問いの立て方』を学ぶ機会がないんだろう?
先日浮かんできた素朴な疑問です。
小学校でも中学校でも高校でも、問題の解き方はいやと言うほど教わりますが、問いの立て方についてはまったく教わりません。
(ですよね? 最近は少し違うのかなぁ…)
ひょっとしたら、「子どもが問いの立て方を学ぶ必要なんてある?」と思われた方もいらっしゃるかもしれません。だって私たち大人は、そんな教育を受けた覚えはないですもんね。
私自身について言えば、塾講師という仕事に就いたときも“いかにして正解を導き出すかを分かりやすく教えること”が重視されました。(まぁ塾というのは、目の前のテストの成績が上がらないと商売上がったりですからね…)
でもやはり本当の意味で役に立つ学力は、教え込まずに考えさせなくては身につきませんよね。
そうこうしていると「発問重視」という授業のやり方に出会いました。
「発問で考えさせよう!」というわけです。
なるほど、教えるだけじゃなくて考えさせるための発問を使えばいいのね。
そう思ってどう発問しようかと考えるのですが、これがなかなか難しい。
それもそのはず、それまで私は「問うこと」を学んで来なかったのですから。
でも改めて考えてみると、発問というのはあくまでも「考えさせる」ことが目的。
「考えさせる」ためのものですから、教える側の操作的な質問だとも言えます。
今私が大事だと思っているのは、子どもたちに問いを与えて考えさせるのではなく、子どもたち自身が持つ疑問や好奇心を言語化し、その問いに向かって学ぶことです。
生きるチカラになる本当の意味での“考える”は、やっぱり自分の中で生まれた問いが元になると思うのです。
そんなわけで、「どうして子どもたちには『問いの立て方』を学ぶ機会がないんだろう?」なのです。
さて、大人相手に問いづくりワークをやってみると、これがまったくダメなことが多い。笑
気の利いた問いがほとんど出て来ない。(ま、偉そうに言っている私もかつては…)
けど、みなさん練習していくうちにすごく上達しますし、「問いづくりが楽しい」とおっしゃる方も多いです。
問いづくりはやればやるほど上達するのだから、子どものうちから鍛えておけば人生で得をするはずなんですけどね。
AIがデータの再生や活用だけでなく論理思考の領域においても高い能力を発揮する時代です。私たち人間には、問題を解決する能力よりも、むしろ問題を発見する能力が求められている時代と言えるでしょう。
「私は地球を救うために1時間を与えられたとしたら、59分を問題の定義に使い、1分を解決策の策定に使うだろう」 -アインシュタインの有名な言葉です。
良質な問いには、それほど高い価値があるのです。
自分や社会を幸せに導いてくれるような問いが立てられるようになるといいですね!!
・・・っていうことで、問いづくりワークのデリバリーを始めることにしました。
あなたの元に「問いづくり」を楽しく学ぶ機会をお届けします!
今、一般公開に向けた準備中~!!
気になる方はお問い合わせください。
(文:大原)